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「運動遊び」とは!?

「運動遊び」という言葉をご存知ですか?

「遊び」は知っているけど、「運動遊び」は初めて聞く言葉だな・・・・。
「運動遊び」という単語から想像すると意味がわかるかもしれませんが、用語としての概念を知っている人は少ないかもしれません。
保健体育の先生や保育関係者、運動・トレーニング関係者であればご存知かと思います。
是非、この記事を最後まで読んで頂くと「遊び」に対する考えが広がると思います。
運動遊びの概念や定義に関しては、様々あり、分野や専門家、文化で異なる場合があります。
「遊び」とは何か?
まずはじめに「遊び」という言葉は、多様なシチュエーションにおいて使用されています。
例えば以下があります。
皆様にも使ったことのあるフレーズがあると思います。
そして「遊び」という言葉の 汎用性 の高さを感じるのではないでしょうか。
コミュニケーション、ストレス解消、創造性、運動・スポーツ、芸術・文化など多岐にわたります。
そのため「遊び」という言葉の概念も多様にあり、現在まで多くの学者達が「遊び」について考えを発表されています。

たしかに、「遊び」の概念を知らないのに、いろいろな場面で自然と使っている。
「遊び」の本質とは

本質とは、物事の根本的な性質や特性を指します。
表面的、一時的なものではなく物事を成立させる核となる要素のことです。
「遊び」において考えてみましょう。
「遊び」にはスポーツや運動遊び、アート等がありますが、表面的に見れば異なるものです。
しかしそれぞれの遊びの当事者の無意識なこころの奥には共通する性質が存在しています。
下記にその性質(本質)についてまとめています。
- 夢中である
-
遊びの当事者(本人)がその環境に熱中・没入し「遊び」に引き込まれている状態を指します。
様々な感情の変化がある中で楽しんでいる状態です。
例えば、遊びに夢中で帰宅時間が遅くなってしまった。
失敗して落ち込むけど、楽しいから何回もチャレンジする等が挙げられます。
- 創造性を発揮する場である
-
遊びの当事者が自由な発想やアイデアを生み出し、遊びに新奇性や拡がりを与え、新たな学習や発見を得ることが出来ます。
- 結果がわからない
-
遊びの当事者が持つ感覚や捉え方に影響されますが、人間は結果が決まっていると思うことに興味や関心が向きにくいとされています。
結果が決まっていないからワクワクし目的や目標に挑戦します。
そして成功や失敗を経験することで学習します。
- ルールがある
-
「遊び」は自由ではありますが、法律・マナー・ルール・約束があります。
おにごっこなどの運動遊びには、特定のルールが存在します。
そしてそれらは遊ぶ環境に依存し変更される場合があります。
例えば、ボールを使用してよい公園もあれば使用禁止の公園もあります。
社会を知る場にもなっています。
以上が「遊び」の本質とされています。
「遊び」研究で有名な ヨハン・ホイジンガ 氏や ロジェ・カイヨワ 氏らが表現は違いますが、上記を提唱しています。
加えて「遊び」は、【遊びの当事者】と【環境】との相互関係の中で生まれ、常に変化していくものです。

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この説明で理解できる人は、あまり多くないと思います。
なので、ここでは具体的な例を挙げて説明します。
『サッカー』を題材にしてみましょう。
サッカーをする際、常に私たちは「周囲の環境」からさまざまな影響を受けています。
これらすべてが、自分の動きや判断に影響を与えます。
たとえば、土のグラウンドと芝のグラウンドでは滑りやすさやボールの転がり方が全く違います。
経験者であれば、こうした違いによってプレー感覚が変わることを実感しているでしょう。
また、雨の日はボールが重くなり、転がり方やキックの力加減を調整しなければなりません。
これらはすべて、「環境」と「自分(プレイヤー)」が相互に影響し合っている例です。
そして、これは「遊び」全般にも言えることです。
プレイヤー(=遊びの当事者)は、周囲の環境と関わりながら、状況に応じて遊び方を変化させていきます。
この環境との関係性の中で、「遊び」は常に変化し続けるのです。

なるほど、音楽も楽器を自分の感覚に合わせるための調整を行いますね。
そこには場所・道具・音楽性等と自分のスキルなどが影響しあうんですね。
もう少し具体的に要素について以下に記載します。
子どもの“心の中”で何が起きている?遊びに影響する7つの力

「遊び」と聞くと、多くの方が「スポーツ」や「おにごっこ」などの身体的な活動を思い浮かべるかもしれません。
しかし、遊びはそれだけではありません。
アートや音楽、自然の中での探検、ボードゲーム、演劇、イベント、フェスティバルでの交流など、さまざまな形があります。
この記事では、こうした多様な「遊び」の側面も含めてご紹介していきます。
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人の内面的な反応や感じ方は、状況や個人によってさまざまで、多様な状態を含んでいます。
感情は、自分自身の行動や思考に影響を与えます。
新しい発想やアイディアを生む能力を指します。
自己表現や問題解決等に関わり、他者との関わりの中で新たな創造性が生まれます。
他者とのコミュニケーション能力、協力とチームワーク、競争、ルールなどへの意識をどれほど持っているのかを指します。
「遊び」においての目標設定と達成意欲を指します。
過去に経験したことが、現在の行動や選択に影響を与えます。
心身の発達状態や疲労度、健康状態を指します。
新しいことに対する挑戦、冒険的な意欲を指します。
このように、遊びの当事者は、感情や想像力、社会性、身体的状態など、さまざまな内的要素を持ち合わせています。
それらが複雑に絡み合うことで、遊びの質やかたちが一人ひとり異なるものとなるのです。
遊びの舞台は無限大!“環境”が当事者に与える影響とは?

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国や地域にある特定のルールや形式を指します。
例えばお祭りや伝統的な遊び、伝統芸能、地域性の文化等があります。
ここまで読んでいかがでしょうか。
遊びを取り巻く環境には、物理的・文化的・社会的なさまざまな要因が関係しています。
これらの要素が一つではなく、遊びの空間で変動し、遊びの当事者と相互に影響を与え合います。
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遊びの感情はゆらぐもの?“流動性”という視点

「遊び」は、終始楽しいでしょうか?
皆さんは、「遊び」をしている際に、感情の変化を感じたことがあると思います。
例えば好きなスポーツをして遊んでいて、最初は楽しくても、ミスが続いてイライラしたり、ルールでもめて嫌な気分になることもあります。
それでも、納得するプレーが出来たり、仲直りしてまた盛り上がれば、再び楽しさが戻ってくることもあるでしょう。
このように、「遊び」は環境と自分自身の相互関係の中で、刻々と変化していきます。
『楽しいという感情が消失したり、ある要因をきっかけに再び表出するなど柔軟に変化します。』
要するに、「遊び」とは固定的なものではなく、環境や関わる当事者同士の相互作用によって変化し、流動的な性質を持つ営みであると言えます。
遊びの当事者が持つ要素「感情の表出」においても、どれか一つの感情が表出されるだけでなく、イライラしながらも楽しんでいたり、新しい発見等の驚きが楽しさを引き出すこともあります。
これらもすべて、遊びの中で流動的に変化するのです。
しかし、「つまらない」「楽しくない」「飽きた」といった感情が続くと、もはやそれは“遊び”とは言えなくなるかもしれません。
言い換えれば、義務や作業、退屈な時間つぶしになってしまうという事です。
「遊び」は、子どもの発達と成長を支える原動力

「遊び」は、赤ちゃんである乳幼児期から始まるといわれています。
子どもたちは好奇心旺盛で、未知のものに対して自然と挑戦しようとします。
そのため様々な事に興味をもち、夢中になって挑戦します。
そのような様々な環境での成功や失敗といった繰り返しの経験をすることで、様々な能力やスキルを獲得、学習して成長していきます。
このように、「遊び」は単なる楽しい時間ではなく、人間の発達や成長を支える重要な営みなのです。
以下に具体的に「遊び」によってどのような発達・成長における効果があるのかについて記載します。
記載されている内容は、子ども年代における効果を一般化した効果です。
特定の要素や全ての人に当てはまるものではないことに留意いただきたいと思います。
年代において特異的な効果はありますが、発達はゲームのように「レベルアップすれば確実にスキルを獲得する」という単純な仕組みではありません。
個人差があり、発達のスピードやタイミングも人それぞれです。
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認知能力
非認知能力
個人が社会的な環境に適応し、他者との関係を築く過程を指します。これは成長や経験を通じて形成される広い概念です。
自分の感情を理解し、適切に表現し、コントロールする能力を指します。
感情の認識、理解、適切な反応が重要です。
例えば、ストレスを感じた時に冷静に対処する、悲しい時に自分を励ます等があります。
「遊び」によって「からだづくり」、「うごきづくり」を獲得、発達させます。
「遊び」を通じて自由に選択し決定する自己決定の機会が増え、自分の興味や好みを選択できるようになります。
そして成功体験を積んでいくことで自信が増し、主体的に行動する機会が増加します。
「遊び」は単なる余暇や気晴らしではなく、子どもがさまざまな力を育むための“学びの場”です。
自由で楽しい時間の中にこそ、子どもの発達を支える大切な体験がたくさん詰まっているのです。
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「運動遊び」が育む、からだと心の成長
前述した通り、「遊び」は、遊びの当事者(子どもなど)と環境との相互関係によって構成され、そして変化していく営みです。
その中で、私たちは多様な効果や学びを意識・無意識のうちに得ています。
はじめに「運動遊び」と「遊び」はどんな関係でしょうか?
「運動遊び」は「遊び」の一形態として含まれています。
「運動遊び」は、身体を動かしながら楽しむ遊びであり、「おにごっこ」や「ボール遊び」などが典型例として挙げられます。
ある程度のルールや環境の制約はありますが、その枠の中で自由に動き回ることができる点が特徴です。
また、「運動遊び」は他の遊び、たとえば創作活動やボードゲームのような静的な遊びとは異なり、身体的な体験を通して学びを得るスタイルです。
この「運動遊び」は、実際に小学校低学年の体育の授業でも取り入れられています。。
一般的には、「授業=きっちり学ぶ場」というイメージがあり、「遊び」は場違いと思われがちです。
しかし、「運動遊び」は『からだづくり・うごきづくり』の基礎を養う有効な手段として、教育の中でも重視されています。
走る・跳ぶ・転がる・投げる・よけるなど、基礎的な運動能力の向上に加えて、仲間との関わりや感情のコントロール、ルールを守る力など、社会的・情緒的な発達にも貢献しています。
さらに「運動遊び」は、運動への精神的ハードルを下げ、子どもたちが自然と身体を動かすきっかけにもなっています。
「遊び」と「競技」の境界線 ―運動遊びとスポーツの違い

2つには、共通する要素があります。以下に記載します。
身体的活動 | 身体を動かす活動であり、身体的な発達を促す |
特定のルールがある | それぞれに特定のルールがあり、その構造の中で行う |
遊びの要素 | こちらをクリックしてください。 |
楽しさと交流 | 仲間やチームメイトと交流して、楽しみながら行う |
しかし、2つに共通しない要素もあります。以下に記載します。
競争性の強調 | 「スポーツ」には必ず勝敗があり、そのために競争が強調される。それに対して「運動遊び」はそれらが必ずではなく、創造性や楽しさを重視する。 |
ルールの明確さと曖昧さ | 「スポーツ」は、明確にルールが決まっている。「運動遊び」は特定のルールはあるが、曖昧で変更することも可能である。 |
目的の違い | 「スポーツ」は記録や成果が目的となるが、「運動遊び」は、それらも含むものの、楽しさや自己表現が重視される。 |
上記より、スポーツは運動遊びと同じ要素を持ちつつも、競争性や構造化されたルールの順守という面で一線を画します。
そのためスポーツは“運動遊び”の中でも競争性や成果を重視したスタイルと捉えることができます。
スポーツは、遊びに含まれる自由さや楽しさを持ちながらも、競争や明確なルールの導入によって“構造化”された形で行われます。
そのため、スポーツは「遊びの発展形」であり、「遊び」から生まれた社会的・文化的営みとも言えるでしょう。
遊び”でなくなる瞬間 〜フローの消失と心的エントロピーの増加〜

一見「遊び」と思われがちな活動でも、心の状態や環境次第では、「遊び」としての本質を失うことがあります。
ここでは、その要因となる2つの心理的状態「フローの消失」と「心的エントロピーの増加」について解説します。
- フロー体験の低下・消失
-
ミハイ・チクセントミハイ氏が提唱した概念です。
フローとは「完全に没頭し、時間を忘れるような状態」です。
フローの体験は、様々な要因との相互関係で生じるものです。
遊びの本質における夢中に関係しています。
例えば、取り組む活動が自分のスキルと同等か、それを少し超えるレベルの挑戦を提供すること、明確な目標がある、情熱や興味等があるとフロー状態に入りやすいといわれています。
- 心的エントロピーの増加
-
心理学や精神的な状態に関連する概念です。
心的エントロピーとは「個人のこころの状態や情緒的な安定性を示す概念」です。
心的エントロピーが高い状態には以下の状態があります。
心理状態 詳細 混乱と不安 思考や感情が混乱している状態を指します。情報過多やストレスで、判断や行動が難しくなります。 焦燥感 リラックスや集中がしにくくなります。 自己調整の困難 感情の調整や自己管理が難しくなり、生活全般に影響を与えることがあります。
上述の2つは、逆の関係になっています。
過度な競争性の強調や過度なプレッシャーによって主体性が失われ、強制や義務となった時、フローは低下又は消失しており、逆に心的エントロピーが増加すると共に「遊び」ではなく「作業」や「苦痛」へと変質してしまうのです。

遊びの当事者が持つ心の受容(受け皿)が限界を超えてしまうと、『楽しい』という感情が維持できず、「遊び」の本質は失われるのですね。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます。
「遊び」について、少しでも新たな視点や気づきを得ていただけたなら幸いです。
「遊び」が包含する内容が多いため難しく感じた方もいるかもしれません。
本稿でお伝えしてきたように、「運動遊び」は「遊び」の中でも、身体的活動を中心とした一形態です。
遊びの当事者と環境との相互関係のなかで構成・変化し、その中で私たちは多様な経験を通じて、心身の発達やスキルの習得を無意識のうちに積み重ねています。
一見すると、「遊び」はただの気晴らしや時間つぶしのようにも見えるかもしれません。
しかし実際には、遊びに没頭する当事者の「内側」では、刻々と変化する状況や自身の感情・体調などに応じて、情報を処理し、瞬時に「行動の選択と実行」が繰り返されています。
さらにその結果を「振り返り(内省)」し、次に生かすという学びの連鎖が、ごく自然に起こっているのです。
たかが「遊び」、されど「遊び」なのです。
遊びは決して無意味なものではありません。
むしろ、発達・学習・自己表現の原点とも言える重要な営みです。

大人も子どもも、遊びの中にこそ学びがあります。
ぜひ、「運動遊び」を通じて、失敗を恐れず、毎日を思いっきり楽しんでください。
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