記事内のリンクから商品をご購入いただくと、運営者に報酬が発生する場合があります。
収益はサイト運営やコンテンツ品質の向上に役立てています。
「空っぽの舟」という考え方がなぜ必要なのか

こんにちは。皆さんに新たな視点や価値となる情報をお届けしたいと思います。
【コーチと舟に何の関係があるのだろうか】、【コーチってそもそも何だろう】と疑問に思う方々にわかりやすく説明していきたいと思います。
是非お付き合いください。
コーチとは何だろう?

「コーチ」についてどんなイメージを持ちますか?

厳しいけど、集中できる環境づくりをしてくれる、信頼できる人って感じかな・・・。
皆さんは如何でしょうか?
習い事や部活動でスポーツをされた経験がある人は、パッとイメージが浮かぶでしょう。
当時のコーチを思い浮かべた方もいると思います。
人となりを含めて、プレイヤ―目線のコーチ像は実に多様であり、『全てのコーチが同一ではない』ことは言うまでもありません。
しかし「コーチ」の本質は、どの分野においても普遍である必要があります。
コーチとは何なのか?について次から説明していきます。
先生・指導者・助言者・監督など、立場や関わり方はさまざまですが、それぞれが「コーチ」としての本質を担っています。
用語の由来はハンガリーの町コチからきています。
コチで生産される馬車がコーチの比喩となります。
馬車には、人や物を目的地まで運ぶ役割があります。
コーチは多様な環境で活動しています。
そしてコーチの活動内容も、細分化されてきていて、専門により棲み分けが行われてきています。
プロのスポーツチーム・トッププレイヤー・経営者・ビジネス関係者等に対してサポートしています。
コーチは特定の構造(学校・ビジネス、競技スポーツ等)内での役割や地位を持つスペシャリストです。
コーチと似た用語にコーチングがあります。
コーチングは、特定の手法やコミュニケーションスキルのことを指します。
コーチングは、構造内での役割や地位は関係なく、選手同士や、同僚同士でも利用できます。
コーチ以外でも当てはまることに注意してください。
コーチの役割とは?

それでは「コーチ」が求められる仕事とは何でしょうか?
スポーツやビジネスといった異なる構造の中で「コーチ」という名称が用いられているのは、それぞれの領域に共通する本質的かつ普遍的な役割が存在するためです。
コーチの役割を次に説明します。
クライアント を、目標達成に向けて先導するプロフェッショナルな役
もう少し具体的にすると次になります。
クライアントの目標達成に向けて、理論や実践に基づく知識を土台とし、計画や方向性を明確に定め、筋道を立てることで一定の推進力を与えます。
さらに、コーチングを通じてクライアントのモチベーションを維持し、ブレイクスルーを促しながら、伴走者としてともに目標達成を目指します。
【スポーツ(チーム)に例えると】目標とする大会での優勝に向けて戦略を立て、それに基づいてチーム全体と個人それぞれの練習計画を作成します。
その上で、コーチングを駆使して選手にプレー面でのアドバイスを行い、モチベーションの維持・向上やメンタル面のサポートにも努めます。
定期的にパフォーマンス評価を行い、必要に応じて選手やチームに対して助言を行い、改善が見込めない場合は計画そのものを見直します。
しかし、これらは「コーチ」という役割のごく一部を要約したに過ぎません。
実際には、日々変化する状況の中で、多角的な視点と的確な判断力をもって、計画を柔軟に遂行していく必要があり、決して容易なことではありません。
【スポンサーリンク】
コーチの質が問われる時代
現状、「コーチ」という肩書きを名乗ること自体に法的な制限はなく、資格がなくても活動を始めることができます。
そのため、スポーツ界では、選手が引退後すぐにコーチへと転身するのは珍しいことではありません。
中には、現役時代から将来を見据えてコーチライセンスを取得する選手もいます。
これは、資格が「コーチ」としての理論や基礎を裏付けるものになるからです。
しかし一方で、コーチライセンスに関しては、カリキュラムの質や実効性、そもそも資格の必要性についても様々な議論があります。
そのため、一部では、自身のプレイヤーとしての経験だけを頼りにした指導や、見よう見まねの知識「有名選手がやっていたから」「海外の最先端らしいから」といった浅い根拠でコーチングを行う人も存在します。
結果として、「コーチ」の質には大きなばらつきが生まれ、その存在や役割自体が曖昧になりがちです。

そもそも、「コーチ」は単に資格で評価されるものではありません。
必要なのはコーチングスキルや知性・感性であり、何よりもクライアントの「目標達成」という結果によって評価されるべき存在です。
いくら資格を持っていても、クライアントとの関係が一方通行で、場合によっては暴力的であれば、それはもはや「コーチ」ではなく、「コントローラー(支配者)」に過ぎません。
「コーチライセンス」と「コーチングライセンス」は別物です。
「コーチライセンス」とは、コーチが属する分野(例:サッカー)の理論や基礎の知識を指し、「コーチングライセンス」は、クライアントに対するやり取りの手法やコミュニケーションスキルを指します。誤解しないように注意しましょう。

コーチとクラアントとの関係は、インタラクティブ(双方向)のコミュニケーションが基本です。
コーチ側の一方的な指示でも、クライアント側のコーチへの一任ではなく、カンバセーション(対話)の中で培われていくのです。
スポーツにおいては、コーチングだけでなくティーチング(教える)要素も含まれます。
「時間が限られている」ことが要因かと思います。
ビジネスとはことなり、1日のスポーツに費やす時間は、2時間程度しかなく、育成年代においては、年齢による区分(例:12歳以下・15歳以下・18歳以下)もあります。
その区分の中で大会が開催され、優勝を目指します。
そのため、コーチとして目標達成のための筋道・枠組みを作る中で、ティーチング(教える)行為が入ってきます。
しかし、上述のトップダウン理論の反対でボトムアップ理論をもとにしたスタイルもあります。
それは選手たちの主体性を尊重し、選手自ら考えて計画を立て、実践していくことです。
その時コーチは教えず、良き相談相手に徹します。
コーチとは、ただ教える者ではなく、根拠や理論に裏付けられた対話を通じて、選手と共に考え、悩み、歩む“対話の伴走者”であるべきなのです。
「空っぽの舟」を参考に他者との関わり方を学ぶ
それでは、今までの「コーチ」に関することは、一度置きます。
次にタイトルにある「空っぽの舟」について説明していきたいと思います。
まずは「空っぽの舟」の話を以下に記載します。
若い農夫が、体中汗まみれで、舟を漕いでいた。
マーシャル・ゴールドスミス&マーク・ライター/斎藤聖美=訳、「トリガー自分を変えるコーチングの極意」、日本経済新聞出版社、2016年1月25日、p198,199
彼は収穫した農産物を村へ運ぼうと川の上流に向かっていた。
その日は暑い日だった。
彼は農作物を早く届けて、暗くなる前に家に戻りたいと思っていた。
前方を見ると、別の舟が見えた。
流れに乗って彼の舟に向かって急速に近づいてくる。
彼は舟をよけようとして猛烈な勢いで櫓を漕いだが、避けられそうにもなかった。
彼は「向きを変えろ! おいらの舟にぶつかるぞ!」と叫んだ。
だが、無駄だった。
舟はものすごい音を立てて彼の舟にぶつかった。
彼は怒鳴った。「このバカもん! こんなに川幅の広い川で、何でおいらの舟にぶつかってくるんだ!」
舟の中をのぞいて、この事故の責めを負う人間を探したが、誰もいないことに気づいた。
彼は、係留を解かれて流れに乗って下ってきた空の舟に叫んでいたのだ。
皆さん、話のイメージはできましたか?
さてこの話は、他者と関わる際のこころの内側を表現した比喩として用いられます。
〖怒りをぶつけてくる人〗・〖邪魔してくる人〗・〖失敗が多い人〗など他者と関わる中で自分自身の感情が揺れ動く時があると思います。
イライラしたり・カリカリしたりとストレスに押しつぶされそうになります。
そんな時にこの「空っぽの舟」が必要になります。
相手を変えようとするのではなく、変化の矢印を自分に向ける事が大事になります。

〖怒りをぶつけてくる人〗の内情を推察すると以下が考えられます。
認知のゆがみや対人関係からくるもの
- 自分が正しく、相手が間違っていると思っている
- 人を上下の関係で評価している。
- 自分は被害者であると思っている。
感情の未処理・別の感情の代替表現
- 本当は哀しみや苦しみがあるが、それを怒りとして表現してしまっている。
- 過去の否定的な経験(意見が否定されたなど)がトリガーになっている。
- トラウマに触れられたことで反射的に怒りで反応している。
- パニック状態で冷静さを失っている。
学習・習慣による反応
- 怒りをぶつけて意見が通った経験を持っている。
- 怒りを手段として無意識に使っている。
自己認識の乏しさ・感情調整の難しさ
- 怒っている自覚がない
- 自己肯定感が低く、自分の考えを適切に人に伝えるのが苦手。
その他の可能性
- ストレスや疲労の蓄積が影響している。
- 外的要因(家庭・仕事・環境)でイライラしていて、関係のない人に怒りをぶつけている。
怒りはしばしば「二次感情」とも言われ、背景には別の未処理の感情や過去の体験が潜んでいます。
そのような人に同じように怒りで対抗しても、相手は変わりません。
怒りの対象になったとしても、それは「あなたのせい」ではない可能性が高いことも多いです。
相手の内面の課題であることがほとんどです。
あなた自身の価値や人格を否定されたように感じても、真に受けすぎず、自分を守ることを優先してください。
もし自分の言動に非がある場合も、冷静さを保ち、必要に応じて謝罪と対話を行います。
しかし怒りを理由に罵倒や暴力的な言葉をぶつけられるようであれば、たとえ原因が自分にあっても、「言い方」や「態度」が不適切であることをはっきり伝えるて距離を取るべきです。
余計な労力を注ぐ必要はないです。

〖邪魔してくる人〗の内情を推察すると以下が考えられます。
善意からくるケース
- 相手に良かれと思って行動している。
- コミュニケーションの一つと考えている。
自己中心的・承認欲求型
- 負けず嫌いで嫉妬心が強い。
- 目立ちたいと思っている。
- 承認欲求が強い。
心の不安定さ・満たされない内面
- 他人を困らせることで、心の隙間を埋めている。
その他に考えられる内面
- コントロール欲が強い
- 過去の経験に基づいた過剰な「おせっかい」
- 無意識の妨害者
人は「自分の満たされない感情」を外部にぶつけることで一時的に安心しようとします。
そのターゲットになったとしても、それは「あなたのせい」ではなく、相手の未解決の問題です。
あなたが責任を背負う必要はありません。

〖失敗が多い人〗の内情を推察すると以下が考えられます。
心因的要因
- 緊張している。
- 半信半疑でこなしている。
- どうにかなると思っている。
認知的要因(思考・理解の問題)
- 集中力がない。
- 学習期間が短く、理解せずに実行している。
- タスクが多くて、混乱している。
外的要因(環境・状況の影響)
- 外的要因(家庭・仕事・環境)に悩みを抱えている。
- 仕事の量が多くて、疲れている。
失敗に対してどうこう言っても無駄です。
「失敗が多い人」は、伸びしろがある人でもあります。
対処の目的は「叱る」でも「諦める」でもなく、失敗を成長の起点に変えることです。
私たちは、当たり前ですが【相手が居なければ、感情的になることはありません。】
相手がいるから、自分の意見を押し付けようと躍起になります。
責任問題となれば責任を相手に押し付けようとします。
そうなると、相手が悪いという答えは決まっていて、そのためのストーリーが完成してしまいます。
この後どうなるかは、皆様のご想像にお任せします。
しかし私たちは、感情を無くすことは出来ませんが、考え方や捉え方を変えることは出来ます。
状況を変えるには、『自分を変えること』が大事です。
状況を俯瞰で見ることや質問を通して、自分の内面も含めて理解しようとする柔軟な対応が必要になります。
コーチと「空っぽの舟」

前記の内容を踏まえると「コーチ」と「空っぽの舟」がどう繋がるのかが見えてくると思います。
コーチとクラアントの関係は、目標達成というゴールに向けてランナーと伴走者が並走するイメージです。
そのゴールまでの走路は直線とは限りませんし、走るスピードも一定とは限りません。
定期的なコミュニケーションやカンバセーション(会話)等を通じて現状の評価を行い、計画の進捗を確認し、判断をしていきます。
そのため、インタラクティブ(双方向)のコミュニケーションは基本です。
クライアントの目標達成までの計画遂行が順調であれば良いですが、停滞した場合に、一方、又は双方が相手に対し、責任を押し付けるような考えや捉え方になる可能性があります。
そうなると前記した通り相手が悪いという答えしかなく行動にも表れてしまいます。
あなたの教え方がが下手だからこうなったんだ。
あなたのやる気が足りないからでしょ。
お金を払っているんだから、あなたがどうにかしなさい。
以上の様に、「コーチ」はクライアントの伴走者として、悩みや問題の聞き役であるはずが、いつしか自分が問題の当事者になってしまい、やり取りか不毛なものとなり、ゴールが見えなくなります。
わかりやすい他の例えを以下に記載します。
この2つは、同じような意味を表現する比喩です。
竜頭蛇尾とは、最初は竜のように勢いがあるが、だんだんと勢いが落ちていき、最終的には蛇の様に勢いがなくなり振るわないこと。
新品ノートの1ページ目とは、新品のノートを使う時、1ページ目は丁寧に気を配って書きますが、ページが過ぎていくうちに丁寧さは薄れ、適当になっていくこと。
これらは、クラアントのコミットメントの問題・コーチの質、両者の関係性が時間とともに、弱化してしまう事を指しています。
後者は私がイメージの比喩に使えると思い載せています、決して一般的な表現ではないです。
「コーチ」に焦点を当てると、スポーツの現場ではこういった状況で旧態依然的な指導が散見されます。
例えば、罰走や、言葉の圧力などです。
これらは、クライアントの心身を追い込むことで、考えることを止めさせコントロールしていきます。
それは「コーチ」の役割ではありません。
勿論、育成年代の部活動においては、手に負えない選手がいたり、社会人であっても自己中心的な考えの人がいることは確かです。
そういった現場で四苦八苦することも理解しています。
しかしそういった現場こそ、空っぽの舟の考え方は必要ではないかと考えます。
全てを自分で抱え込む必要はありません。
今すぐどうにかしなくてはいけないと思う必要もありません。
クライアントの意見を承認し、肯定も否定もせず聞き役となり、その背景を会話を通じて理解しようと自分の内面に働きかけをしましょう。
そうすることで、相手とのコミュニケーションの手法などを含むコーチングが変わると思います。
それでもうまくいかない場合は、関係を終了するか一度離れることも一つ選択肢だと思います。
コーチは、医者などの心身の専門家ではないので、役割には限度があることを知っておく必要があります。
最後に伝統や文化を重んじるのは大切です。
私たちもその継承者です。
しかし、考えることを放棄してはいけません。
自分・他者・環境が、影響を与え合いながら変化するカオスな状況において、べき論に縛られ過ぎる必要はありません。
ただ自分がその状況の一部であると考えれば、責任から解放され物事を柔軟に考えられるのではないでしょうか。
最後まで記事を読んで頂きありがとうございました。それではまた別の記事でお会いしましょう。
コメント